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Posted by - 2024.11.01,Fri
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Posted by 瑞肴 - 2011.02.01,Tue
戦国BASARA3
親谷のつもりで書き始めましたが、似て非なる。
三吉でもない。

長曾我部緑ルート、大谷さん生存捏造小説。

久しぶりに長いの書きました。



 
 
 

見慣れた武装姿ではなく、白い頭巾に白い口布、白装束の出で立ちで、大谷は深々と平伏した。
先まできちりと巻かれた包帯の指が、揃えられて床につく。

「ぬし様の計らいによって傷もようよう癒えやった」

つ、と上げられた顔。深く冷たい色を宿した目は長曾我部を映し出してはいたが、実際見ているのかといえば、そうではないようにもみえる。

「わが知謀のすべては、ぬし様の為に」

ああ

長曾我部は悟った。
背筋に感じる虚無は恐れにすら近い。
豊臣秀吉は、これを受け、構え、使役していられた。それが天下人の器なのだろう。苦い笑みが、長曾我部の唇に浮かぶ。

一度目を合わせてから、大谷は再び平伏する。
礼の篭もった所作に、なんの感情も読み取れない。

大谷はついに、最後まで、長曾我部の僅か後ろに控えた三成と視線を合わせることはなかった。







三成はあまり眠っていないのだろう。思えば長曾我部が西軍に属していた頃から、三成は眠るのも食うのも蔑ろだった。
強烈な眼光だけを宿し、近付くだけで肌が切れそうな鋭い気配を放ち続ける三成を眠らせ食わせたのは、西軍軍師の大谷だ。大谷は戦場(いくさば)以外で人前に出ることはあまりなかったので、長曾我部が直接面した時間は三成とのそれに比べればずっとずっと少ない。それでも大谷が三成の寝食をどうこうしているというのを知れるほどには、軍の中でそれは当然のことだった。
四国に三成と瀕死の大谷を連れ帰ってからも、やはり三成は食いも眠りもしなかった。長曾我部が『命令なら聞くか?』と言えば『是』と答えは返り、それでようやっと人らしい生活が出来ていたというのに。
大谷が目覚め、長曾我部に臣下の礼をとり、それからまた寝食が疎かになっている。大谷が気になるのだろう。しかし、長曾我部に対する不義になるの一点張りで見舞いにも行かず会話をしようともしない。
三成の世界はかなしいほど狭く、無理に広げようとすれば罅割れた心は砕け散ってしまうのだろう。大谷もそれを心得ているのだろう、自分から三成に接触しようという気配はとんと見せない。長曾我部も命令という無理強いを諦めて、時間の流れを挟むことにした。
せめて、自分で眠って、食えるようになってから、それから少しずつ進めばいい、と。それが関係の修復であれ、決別であれ。

しかし。

「長曾我部、こちらの裁量はまだか」
ぼさり、これでもかと文机と、その周囲に積まれていた書簡がまた増えた。
さすが元冶部少輔、生真面目の権化。
長曾我部の補佐についた三成は、恐るべき勢いで仕事を捌き続けている。長曾我部の方が三成の仕事の処理速度に追いつけないという始末なのはご愛嬌か。四国復興の為の仕事などと山ほどあるのだ、どこまでもかぎりなくつづくおしとごとのやま、ただでさえ死に掛けていた所に、元刑部少輔が現れた。
「やれ後はぬし様の検分待ちよ。われの体は充分癒えた、これ以上の休養などという御配慮は不要ゆえ、どうぞわれを使うてくれやれ」
なんということか。
天下を取った豊臣の中で目覚ましい働きをしていただけあり、二名が居るだけで仕事がはかどるはかどる。長曾我部の処理すべき仕事がつまり、増えるふえる。
このままでは身がもたない、どこかで息を抜けないものかと手探りするも、会ってもおらず会話もしていないくせに大谷と三成は互いがどのような仕事をどれほどの速度でどうこなしているかを大体把握しているらしい。見計らった絶妙の頃合で長曾我部に次の仕事を振ってくる。
三成の方は十割善意と熱意だろうが、大谷の方は違うだろう。
しかし実際のところ、彼らのお陰で復興作業ははかどっている。長曾我部さえ馬車馬のように働けば良い話であり、三成はそれを国主ならば当然と捉え、大谷はただ目を細めて笑うのみ。
「ぬぉおおおお!!!」
筆を折る勢いで気合をいれた長曾我部に、これも追加だと無慈悲な三成の声が水を差した。豊臣の子、怖い。

根を詰め過ぎて少々げっそりした長曾我部が大谷のもとを訪れたのは、春もそろそろ終わろうかという頃合だった。
大谷が住まうのは山の麓のこじんまりとした屋敷。病ゆえの体の弱さで直ぐに体調を崩すということは知っていたので、住まいは好きな場所を選べばいいと告げた長曾我部に大谷が所望したのがこの場所だった。なんでも、占術によると良い場所らしいが長曾我部にはよくわからない。
背の高い木々をかい潜れば辿り着くその屋敷の一室に、白頭巾に口布、白い装束に蘇芳の羽織り姿の大谷は座していた。
「これアンタなら読めるんじゃないかとな」
差し出されたものを受け取り、唐突な来訪に納得する大谷である。なるほど、これは酷い。
蚯蚓がのたくったような汚い字だ。地方領主のものとも思えぬ悪筆は、大谷が刑部少輔であれば一刀両断にするところだが現時点の彼はそうではなかった。
「あい、そうさなこの程度なら読み解ける。書き写す故、しばし待たれよ」
別に、大谷でなく、配下の中にも探せばそれが出来る者は居よう。
しかし長曾我部は息がつきたかった。もっと砕けていうなら仕事からちっと逃避したかった。己の仕事場に居ては三成にせっつかされる。三成が来ない場所はどこだ。
そんなやましい気持ちから、わざわざ大谷の屋敷を自ら訪れたというわけ。
大谷と少し話がしてみたかったというのもあった。
しゃらしゃらと筆を滑らせるのを待つ間、室内を見回してみる。
香が焚かれている室内は仄かに甘い香りが満ちており、そこかしこに書が乱雑に撒き散らかされていた。大谷が大坂から取り寄せた荷物の七割が書で二割が薬、一割は衣服だと小耳に挟んでいたが、それにしても紙が多い。あとは、薬箱のようなものと、盆に乗せられたのは包帯、軟膏、包帯を切る為の小さな裁ち鋏。
部屋自体がまるで大谷そのものだ、知識と病しか存在しない。
が、ふと。
部屋の片隅、小さな机に置かれたものが目を引いた。
「……あれは…」
筆を滑らせていた手が止まる。黒の中の金が長曾我部を見た。
「目敏いことよ、気付きやったか」
それだけ言って、視線は手もとの紙へ落ち再び筆は動き出す。
座ったままにソレににじり寄ればやはり、裏を向けて飾られた丸鏡は日輪を模した鏡であった。
「われが『朝陽は強すぎて好かぬ』と言うたのが切っ掛けであったか、それ(鏡)を代わりにするが良いとな」
どういう脳みそをしているのか、喋りながらも手を動かす速度はまったく落ちない。
「日輪の力と加護を与えてやろうと言われては断れぬわ。われはわれの醜き姿を好かぬゆえ、部屋に置くにしても裏を向けるというのになァ」
「…毛利の野郎、そんなこと言ってたのか」
ぽつり零した後は沈黙が続く。毛利とは、会話らしい会話などしたことがない。策を練る者同士、大谷とは通じ合うものがあったのだろうか。ひとから聞く毛利の話というのは何故かひどく不思議なものだった。近くに感じられるかと思いきやとても遠い。
日輪は毛利にとっては絶対ともいえる、それを模した物を安芸にも毛利にも関係の無い大谷に贈った心中にはいったい何があったのか。
情かもしれないと思う己もいるが、策略のひとつだろうとも、思う。そう思う己がひどく卑しい生き物だと感じられる。
結局大谷が書き上げるまで無言であった長曾我部は、仕上がったものを受け取ると直ぐに屋敷を後にした。
1人になった室内、筆の先を戯れに薄い墨に浸していた大谷は筆を置くと裏向けたまま鏡を手に取り縁を撫でる。
「あいも変わらず直情な男よ」
ヒヒッ。喉が引き攣れた空気を零す。
「のう毛利、ぬしがかような労わりなどみせるわけもない」
咄嗟にしては上出来の作り話であったであろ。
歌うように暴露した大谷の言葉を、毛利が聞いていたなら鼻で軽く笑ったろうか。
本当は、鏡はかつて安芸を訪ねたときに与えられたものだった。ワルダクミを練っている最中、視界の端でチカチカと光るそれが気になった大谷が『ああ、鏡であったか』と一言漏らし、気になったならばそれも縁(えにし)よ、持ち帰れと、その程度の遣り取りで寄越された。
たったそれだけのことではあるが
毛利との何気ないやり取りを、ありのまま長曾我部に聞かせてやる気にはならなかった。流れるように吐かれた嘘を、毛利が聞いていれば鼻であしらったろう。
それでよい。
それが出来ぬものには、聞かせてやる気になれないと、それだけの話。




雨が降ったり止んだりと続いた日の合間、降って沸いた厄災に長曾我部は頭を抱えていた。
集落にて病が流行り出しているのだそうだ。直ぐに死亡してしまうようなものではないが、体力の低い女や子供は危ないらしい。
そも、四国は豊かな土地ではない。戦で疲弊した国には疲弊した民。病が流行ってしまうのも無理からぬことではある。あるが、頭を抱えたく事実は変わらない。
「金が…」
またか、またこれか。詰まるところ金か。嫌になるが、大事なところだ。
「すまん、それは私では力になれん」
「お、おう、いやいいってことよ、こいつぁ俺がどうにかしなくちゃならねえこった」
一応、三成も四国へ来る際に荷物をまとめてきてはいるが、その少なさ簡素さには驚かされたものだ。三成は財産と呼べるものを殆ど持っていない。豊臣秀吉から与えられたものは、物も金も領地もすべて、豊臣秀吉の為に費やしていたらしい。…そんな相手から金の無心をするほどには落ちてはいない。
「秀吉様から賜った銀山を手放していなければな」
「えっ、銀山って …いやいや、いい、言わねえでくれ、頼むから」
そうか?
首を傾げる三成に物欲というものは存在するのかどうか。
「それより、先の問題は流行り病だ」
気を取り直して頬杖をついた長曾我部に、対面に座していた三成の目がぴくりと揺れた。
「…貴様は…、体に問題はないのか」
「俺は元気なもんさ。頑丈は鬼の取り得だぜ?」
「……ならばいい」
暫く前から、三成はずっとそわそわしている。
理由はおそらく大谷だ。
病が流行り出した頃から、体調が優れないのでと療養に専念したいと申し出があり、大谷の体力の低さを知っていた長曾我部はすぐにそれを許可してやった。
なので三成は大谷まで病に臥せっているのではと気に掛けているのだろう。そんなに気になるのならば、屋敷に顔の一つも出せばよいというのに。
「…いや、そうか、そうだな」
「 ? 」
なにやら一人で納得していた長曾我部が勢いよく立ち上がった。
「ちぃと大谷のところに行ってくらあ」
「…っ!?」
膝の上に置かれた三成の拳が握り締められたことに、すでに背を向けていた長曾我部は気付かなかった。
馬で駆ければ直ぐの距離。
幸いにして雨の合間の晴れ日であり、久しぶりの軽い運動に喜んでいる馬を大谷の従者に預ければ、どこか緊張した面持ちだった。
屋敷に詰めている従者は全員、大谷が大坂から連れてきた者たちだ。人なら手配するといったのだけれど、病の身であるので長曾我部元親の民をわれなどに使うわけにはゆかぬと拒否された。そういうものかと関心の薄い長曾我部に、大谷は二の句を告げるでなく笑っていたものだ。
「(そりゃこれだけ病が流行れば、体の弱い主も病に罹りやしないか気が気じゃないだろうな」
長曾我部にとっては腹の底の見えない、性根の捻くれた男である大谷だが、古くからの臣下には深い敬愛を抱かれている、ようだった。大谷のことは分からないが、傍に居る彼らなら目を見ればわかる。
通された部屋で出された白湯を啜っていれば、庭に面した通路をひょこひょこと、杖をつきながら歩いてきた大谷が目に入る。
時間をかけて部屋に辿り着いた相手は、今日も白い頭巾に口布姿。
「お待たせ致した」
「アンタに聞きたいことが出来た」
「…さよか」
ぽつり、ぽつり。
部屋に案内されてから、薄曇だった空は次第に重い灰色へと変化していた。小さな雨粒が次第に柔らかな糸のような雨になり、地面や庭の草木の葉を濡らしていく。気温が下がってくるだろう。体調が優れないという病人に無駄に時間を割かせるのも気が引ける。世間話も前置きもなしで切り出すことにした。
「天下の豊臣に居て色んな知識もあるアンタなら、病について精通してるんじゃないかとな。いま集落で流行ってる病がどういったモンだか解らねえか? それか、似た症状が出るやつだとか、対処法や良い薬に心当たりがあったら教えて欲しいのよ」
大谷は、何故か少し驚いたようだった。軽く目を見開いて凝視してくる。
「ああ、伏せってたなら知らなかったか? ちょいと今、集落で赤くて丸い発疹と熱の出る病が流行っててよお」
「…いや、知っておった。更に細かい症状も、五助に聞いて知っておる」
「それなら話が早ぇ」
破顔した長曾我部を奇妙な目で見つめていた大谷だが、降り始めの雨のように、ぽつりぽつりと掠れた低い声で言葉を零していった。
同じものかは分からないが、似た病の症例を知っている。それに対する対処なら分かるし、手持ちの知識で効果が出そうな薬を調合も出来るだろう。ただし材料がないので、医者にいって掻き集めなければいけないがと。
ふんふんと頷いていた長曾我部だが、知識としては専門外だ。一通り大まかな説明を受けると、直ぐに医者を此処へ向かわせるので説明してやってくれと、そういうことになった。
話が終わっても、大谷の特徴的な双眸がじっと、長曾我部を見つめている。
最近少し慣れてはきたが、感情のまったく読めない大谷に凝視されるのは居心地が悪く、ボリボリと雑に頭を掻いた。
「なんか問題あったのか?」
こんな程度の知識もない田舎者とでもからかわれるのか。言いそうなことといえばそれではないかと思うのだが、どうもそういう雰囲気でもない。
「ほんにわれにそれを聞きにきただけか」
「…ああ? そうだぜ」
目が笑った。
嫌な、ふうに。
「流行り病の源として、われを斬り捨てに来たのではないと」
何を言っているのかを理解し損ねる。
大谷が所謂業病を患っているのは長曾我部も知るところだが、そもそも症状が違う。大谷の肌は爛れているらしいが(見たことがないので、噂で聞いた程度だが)、いま此の地で流行している病は発疹だけで、回復すれば痕にも残らないと聞いている。
「ぁあ゛?」
繋がらない。大谷は何を言っている。つい先日『生きて償え』と言ったはずで、大谷もそのときは頷いたというのに。
なんのことだと眉をしかめた長曾我部に、大谷は喉の奥から引き攣り笑いを漏らした。
「われの言葉の意味がわからぬか。ぬし様、われを手に入れてほんにメデタキなァ、ぬし様にはわれが、アタマが必要よ、ヒツヨウ」
馬鹿にされたことだけは分かった。
が、悔しいことに意味はさっぱり分からない。これでは反論も出来ないではないか。長曾我部は胡坐の膝に置いていた手を強く握る。
「こういう時は、われの首を切り転がすが最良の手よ」
「…なにぃ?」
大谷は目を笑みの形にしたまま。
「これが病の源であったと、われの醜い首のひとつも転がしておけば民草はそれだけで安堵しやる。避けねばならぬのは動揺と、民草同士の疑心暗鬼。われはよそ者ゆえ、まったく適任」
小馬鹿にした物言いである。明らかな怒りが海色の目に浮かんでもどこ吹く風に、ぬし様はアマイ、アマイ、と歌うように舌を転がしている。怒りと不快感で目の前が揺れたが、それでも大谷を怒鳴りつけなかったのは長曾我部にもそれの道の一つだと分かったからだ。己はそれはやらない、それだけで、そういった道もあることは事実として知っている。
「俺は、しねえ」
呻くように漏らされた。
「…ヒヒ、さよか」
所作も荒く立ち上がり、障子を開けると足音をさせながら部屋から遠ざかった長曾我部には、臣下の礼をとったままの大谷の姿を目視はできない。できないが、まだ笑っているような気がして足音は更に荒くなる。
大谷の部下たちが驚いているが、驚きの中に安堵を見つけてしまい、また堪らない気持ちになってしまった。彼らも、己が大谷の首を取りに来たのだと思っていたのか。成る程それならあれだけ緊張していても不思議ではない。
鬼と恐れられてはいるが、人道に反したことなどするものか。
主の怒りを感じ取ったのか、待たせていた馬が落ち着きをなくして嘶き、手綱をとった長曾我部は一度長く息を吐いた。
憤慨している場合ではない、早く戻って、医者を寄越して大谷から詳しい話を聞きに行かさなければ。
気分と同調したように本降りになりそうな暗い空の下、長曾我部は馬を走らせ帰路についた。


必要もなかったが馬を飛ばしてとばして、かろうじて持ち直した長曾我部の気分を瓦解させたのは、厩に着いた途端に凄い速度で走り寄ってきた三成だった。
「長曾我部…!」
スン、と、三成が鼻をひくつかせる。
血臭を感じなかった安堵を見抜いた長曾我部は、どうにもやるせない気分になった。
怒りに近い感情が膨れ上がり、がちりと三成の肩を掴む。三成の薄い肩に指が食い込んでいく。童なら肩が砕かれてしまうのではないかというほどの力を込められ、怒りにぎらつく目を向けられても三成は視線を外さなかった。
「俺が大谷の首を取りに行くと思ってたのか」
そのような、人道に反したことを、己がすると。
「違うッ!!」
こちらは大谷と違い、反応も返答も真っ直ぐだ。獰猛さすら滲ませ否定した三成が、勢い、長曾我部の手を叩き落す。
びりびりとした空気が満ちた。互いに戦国の世を駆けた武将である、箍が外れれば激昂はあっという間に殺気に変わる。
先に息を吐いたのは三成だった。自分は長曾我部の臣下であると、たったそれだけの短い理由で自身を律したのは彼らしい。
「…貴様は、そんなことはしない。……」
私は貴様を信用している。
しかし。
しかし。
「秀吉様が大坂城に居られた頃、城下で病が流行り、体の弱い者や女子供が随分と犠牲になった。…いまの此の地と似た状況だ」
白い、骨張った手が強く握り締められる。
「……私はそのとき大坂には居なかった、…刑部が、刑部が病を流布したなどという謂れのない私刑を受け、傷を負い寝込んでいると、戻ってきてから知ったのだ」
吐き出しきった三成の握られた手は、白を通り越して薄蒼い。その時の怒りを思い起こしているのだろう、薄い若葉色の目が強い光をたたえながら激情を堪えていた。
それは悲しみの色をもはらんでおり、長曾我部は今まで胸に抱えていた怒りが霧散していくのを自覚する。代わりにまったく別の怒りと嫌悪が湧き上がってきたけれど。
大谷が傷を負い、寝込んだなどと。
恐らく彼は敢えて抵抗しなかった。大谷ほどの男が、暴力に抗う為の手段を持ち合わせていないわけがない。西軍において大谷の用意周到な策を幾つも見てきた長曾我部にはわかる。
抵抗しなかった相手に、相手が寝込むほどの傷を負わせたと。
人か、それでも人か。獣もそんなことは、しない。
「心配すんな、大丈夫だ。俺の地でそんな事ぁさせやしねえよ」
あたたかな声音で三成を諭した唇には、真逆の獰猛な笑みが浮かんでいた。






――― 殿、屋敷の周囲に長曾我部殿の配下が見受けられます。

「…ヒ、まっこと甘い男よな。いや、三成がなんぞ言いやったか?」

――― 殿。

「よい、よい。捨て置け。害にはならぬ、番犬代わりよ」

鬼は病を飼いやるか。
それも、よかろ。

ひっそりと、醜く歪んだ口元が呟いた。





それからどれ程たったか。一月か、二月か。そろそろ暑さを感じるようになった夕暮れ時に、その騒動は訪れた。
どたどたと急ぐ足音は珍しい。またぞろ鬼でも訪れたかと、丁度飲み干した薬湯の碗を置くのと、障子に人影がうつったのは同時であった。
「失礼致します。長曾我部殿が、」
やはり。
屋敷の周囲に人の気配が増えていっている。大谷は病を患ってから人の気配には大層敏い。
「殿に、民草の礼を持ってきたと」
「…ああ、ようよう流行り病も落ち着いてきただとか言うておったな」
つまりは褒美か。そのようなものは使いの者に持たせればよいものを。しかし長曾我部は主君である、礼のひとつも述べねばなるまい。億劫な。
やれやれと腰を上げ障子を開けた大谷は、己が大きな勘違いをしていたのだとすぐ後に気付くこととなる。
開かれた門から入ってきたのは長曾我部。
だけではなかった。
ぞろぞろと続くのは長曾我部の配下。所謂「やろうども」であり、彼らは手押し車やらその両手両肩にぞろぞろと生魚や野菜、酒、干物、そんなようなものをどっさり担いでいるではないか。
よく動きよく回る大谷の舌が、暫しであるが静止する。
「よう!! 邪魔するぜえ」
まことよな。
それくらいは言い据えてやりたかったが、長曾我部の担いでいるものが問題だった。

――― 三成。

なにを、なにをしているのだ。まるで米俵のように長曾我部の肩に担がれ、尻と草履裏を此方に向けて。この場合、顔が此方を向いていないのを幸いととるべきなのであろうか。
ああ、われの臣下が気まずさに目を反らせているのが分からぬか、味噌の少ない大魚め。
「…これは、これは」
やっと持ち直した大谷が、大仰に礼を取ってみせる。
「随分と賑々しい。いったい何事か、お教え頂きたいものよ」
肩に問題のものを抱えたまま、にぃっと笑う。
「民からアンタへの礼を預かってきた」
「………は」
主君から臣下への褒美では、ない。そう言ったのか。
「アンタの薬で助かった奴やそいつらの身内がよ、アンタになんか礼をしてぇと、けど直接この屋敷へ届けるのも気が引けるってんで、俺ンとこに持ってきたモンだ」
「………」
「で、ついでだ、アンタんとこの部下と野郎共はあまり面識がねえ。これをちょいと使わせてもらって宴席でも設けようと思ってな」
なにを。
この男はなにを。
表層にすら出さなかったものの、大谷は激しく動揺した。否、困惑という言葉の方が近かったろう。
長身の男を見上げるも、その笑みは腹立たしいほどに、正真ただの笑い顔であった。
澄んだ美しい青であった。晴れた日の海の如き。
その、空とも真水とも違う青を見た途端、大谷はストンと納得がいった。
悪しき同胞が厭うたのはコレであったかと、理屈ではない、ただすっぽりと納得した。
長曾我部は、おそらく本心から喜んでいる。大谷が民から心を寄せられたことを。
そして、こちらは計算なのかもしれないが、己の臣下とこちらの臣下の距離を、それを切っ掛けに詰めようとしてきている。
成る程、味噌が己や悪しき同胞と比べ矮小かもしれないが、四国を統べただけのことはある。この男は国主の器を備えている。
そう結論づけた大谷の取る行動はひとつであった。
「やれ、嬉しきな。こちらへ来てからこやつ等にはさしたる労りも出来んでおったところよ…まして、ぬし様のお心遣いなれば受けぬ道理もない」
「そうか! よし、準備しろい!!」
「「「「わかったぜ兄貴ーーーーー!!!!」」」」
言った先から少しだけ後悔した。

その日、大谷は久しぶりの酒を呑んだ。
長曾我部が主催で、そして己が屋敷で開催となれば、かつてのように奥に引っ込んでいるわけにもいなかい。
三成は相変わらず、大谷を伺っているようで顔を向ければ背けるという程度であったが、どうやら顔色も良い、そうだ。
蝋燭のゆるやかな明りだけで、距離をとられては大谷の弱った目ではそんなことはまったく確認出来ない。すぐ傍に座した五助が伝えてくれた。よく出来た男だと、思う。
「…良い奴らだな」
余程酒に強いのか、先程から浴びるように呑んでいるくせに顔色はほんのりと色付いた程度の長曾我部がぽつりと零す。
「薬の手配のときにも色々腐心してくれたって、医者や民草が言ってやがった。上方みてぇな都から来たオサムライさんが、ツンツンするでなく物腰も丁寧でって …女共が褒めちぎっちまって、野郎共を宥めるのに苦労したぜ」
「われの持たぬ美徳を代わりに持つ者共であるからなァ」
「美徳?」
ニタ。
なにか、嫌な予感。
「忠義の心よ。ヒッヒヒヒ」
「………」
笑うところか、怒るところか、頷くところか。
味の無い昆布でも口いっぱいに頬張ったような顔で黙った長曾我部をニタニタと見上げている。
微妙な沈黙に、騒ぎの中、酔いの回った声が二人の耳に届いた。海の男はどうにもみな声が大きいらしい。
「――よぉ、策だけじゃなく薬やら船についても詳しいってんだから、兄貴が一等だがアンタの所の大将もすげぇじゃねえか」
既に座は入り乱れ、筋骨隆々の海の男に突然肩を組まれて少し驚きながらも笑っていた大谷の臣下が、その言葉に目を見張ったのが長曾我部には見て取れた。
「………はい、…! ……っ」
その、顔が見る間に歪み、つぅと涙を溢れさせる。
肩を組んでいた方が、ぎょっと驚いてその顔を覗き込んだ。
「ぉ、おい、どうした?」
「……いえ、あいすみませぬ、某、酒には弱うございまして」
袖で強く目元を擦る。顔は赤く、声はまだ震えていた。ただ、表情だけは泣き笑いではあるが笑顔で、男は安堵してその背を擦ってやった。
「…っ我が主君への賛辞に、……胸がいっぱいになり、申し…」
「おお、アンタも熱い男だなあ!! 呑め、呑め!!」
注がれる酒は勢い余って盃から溢れたけれど、言葉のひとつ酒のいってき零すのも非礼とばかりに、杯を干す。
「は、ありがたき…」
黙って見ていた長曾我部の視線が、大谷へと戻る。大谷は口布の下でヒッ、と笑った。
「われはそうそう、ホメラレることが無いゆえなあ」
あれらには苦労かけやるわ。
後半のみ柔らかな声音で零す。
思い起こせば西軍において、大谷の臣下はよく働いた。表に出ることはあまり無く、石田軍を立て、毛利軍を立て、功を焦らず、でしゃばらず、酷い戦線においても自軍が最後まで残り、引くことなく戦った。
それを見ていた長曾我部は大谷がそれほどに恐ろしいのかと捉えていたのだが、今のやり取りを見ればそうではなかったのだろう。
業病持ちと、異形の非道な軍師と、敬遠され非難されがちな大谷を支える為に力を尽くした。負から始まる主の評価を、覆す為に。
「…そうか」
「しかし酒に弱いのも困りモ ……やれ」
言葉が終わる前に、立ち上がった長曾我部は徳利を両手にのしのしと座を渡っていた。臣下全員が浴びるほど酒をつがれ呑まされていくのを、大谷は盃片手に黙って眺める。
その後は各々入り乱れての酒宴が続いた。
壁際で正座し、置物のように黙りこくって時折だけ酒を呑んでいた三成を酔った長曾我部が抱え上げ、なにやってんだ大谷のとこにでも行ってきやがれと投げ捨てたり、肩から落ちた三成が「うぐっ」と呻いたきり暫く動かなかったり、流石に心配になった大谷が「大事無いか?」と四国へ来て初めての声を掛ければ「大丈夫だ…」と全然大丈夫そうにも思えない声が返ってきたり。
そんなふうに夜は更けていった。






月も星も闇に隠された夜。
雲は重い水を含み風は強い。
大谷は空を見上げている。
ぼつりぼつり、大きな雨粒が地面を叩き始めた。
ばつりばつりばつりばつり。
「殿、みな出立いたしました」
白い頭巾に、白い口布、白装束。
普段であれば既に床についている時間、大谷はいつも通りの衣服をまとって縁側に立つ。
「さよか。…ぬしも行きやれと、言うたはずであったが」
ばつりばつりばつりばつり。
ばたばたばたばたばたばた。
庭が濡れる、縁側が濡れる。常なら早く中へと促す五助がいまは何も言わない。
暫し沈黙が満ち、しかし雨の音は更に激しく風も唸り声を上げ始め、やっと視線を投げた大谷は、大層柔らかな表情を、していた。
「残るというか」
「お許しください」
「ヒヒ」
よかろ、よかろ。
ぬしとも長い。
呟いた主君の言葉に、五助は深く頭を垂れた。

大谷の屋敷の背後にそびえた山が大規模な土砂崩れを起こしたのは、その会話から四半刻も過ぎていない夜中のこと。

寝入っていた長曾我部は乱れた足音に反射的に跳ね起きた。
そうして聞かされたのが、各所で酷い嵐による被害が起きているという報告である。家屋が潰れたり、山沿いでは土砂崩れが起き、海沿いは満ちた潮の波により船が危ういということだった。
朝を待つには闇が深い時刻、身支度して、眼帯をつける。
どの地域を誰に見に行かせるかの指示を出している間にふと思い出した。
「(土砂崩れ?)」
なにか、なにかが引っ掛かる。それはなんだ。
地図を指していた指が止まった。
そうだ、そういえば大谷は山の麓に居を構えていた。さして日当たりも良くない場所だったので他も勧めたが、此処がよい日の光は逆に毒よと言われれば、そんなものかと納得したのだけれど。
「馬だ!」
「はっ」
嫌な予感がする。

視界すら潰されそうな雨は、上から下ではなく横に吹いていた。強風の所為だ。
やっと辿り着いた大谷の屋敷は嫌に静かだ。暗くて、暗くて、視界が狭い。だが屋敷の奥にぼんやりと薄い光が見て取れる。戦場で見慣れた光、あれは。
「大谷の…」
あの不思議な数珠が放つ光だ。
馬から下りた長曾我部が駆ける。
「大谷!! 大谷ぃっ!!」
屋敷と周囲の木々に隠された奥まった場所、大谷吉継は立っていた。
頭巾は無く、強い風と雨に打たれるままの細い体に白装束が張り付いている。雨の強さにか包帯も所々乱れ、緩まった箇所からは地肌が垣間見える。その大谷が両手を広げている先。
現実離れした光景に息を呑んだ。
かつて戦場で繰られていた珠はひとつひとつが寺の鐘ほどの大きさに変化し、黄金(こがね)の光を放って山の斜面の広域を覆うように浮遊していたのである。
木々が薙ぎ倒され、めくれた大地からは土と岩石がごろごろとのぞき、雨の涙を流している。
ありえない光景に度胆を抜かれながらも気を取り直して観察すれば、眼前の山は土砂崩れを起こしており、頭を垂直に上げても茶色い地肌が見えた。ということはかなり酷い規模なのだろう。
どういう原理かは分からないが、大谷はこれを光る珠にて食い止めているらしかった。
「大谷!」
そこで、初めて長曾我部に気付いた大谷は、しかし振り返りもせずに素っ気無い。
「…やれ、何をしに来やった」
「アンタこそ何してる、危ねぇだろうが早く… …!」
逃げて。
どうなる?
大谷が逃げれば、この不思議な術は解除されるだろう。解かれた戒めに土砂は解放され、これほどの規模の土砂崩れとなれば先にある集落にも被害が出るだろう。
急に押し黙った長曾我部に、大谷はおかしげに笑った。
「気付いたか。さあ、われの体力などいつまでもつかわからぬ、急(と)くと去ね」
どう返すかを考えていると、ごとごと、鈍い音がした。
振り向けば大谷の臣下、確か五助といったか、彼が雨戸を一枚引き摺っており、五助は長曾我部の姿に気付くと驚いて、雨戸を取り落とし駆け寄ってくる。
「長曾我部殿、何故ここに!」
長曾我部は腰を屈め、五助が足元に落とした雨戸を拾う。持ち上げるのも一苦労というほどの重い雨だった。
「先の集落に、早く避難するように伝えて来やがれ」
「長曾我部殿…」
拾った雨戸を上に掲げる。のしのしと歩いた先には、大谷が立っていた。風と雨に向けて面を向け盾にすると、気休め程度ではあるが大谷の体を打つそれらが緩まった。
包帯のずれた体は、寒さと疲労にだろう細かに震え続けている。
「こうするつもりだったんだろ? テメェの腕じゃこの風と雨の中支え続けんのは無理だ」
「しかし」
「この長曾我部元親を舐めるんじゃあねえ! 俺の国と民を守ってる奴を置いて行けるか!! 時間がねえんだろうが!早く!」
雷のごとくの怒号に、五助はただひとつ頷いた。唇を噛み締め大谷を見、主君の無言を確認してから雨の中を駆け出す。全力で。
足音が聞こえなくなってから、大谷はわざとらしく溜息をついた。
「…われはぬしの民を守ったつもりはないわ、迫る土砂に今更命が惜しゅうなってしもうただけよ」
いつもの調子で言葉を転がす大谷を、一喝する。
「うるせえ!! …最初ッから、嵐が起きたら土砂崩れがあるってのは判ってたんだろう。死ぬつもりで此処を選んだんだ…! ふざけやがって、許さねえぞ! 死ぬことは絶対許さねえ!!」
大谷は、ハァと肩を落とした。一度目覚めた鬼は容易くは引っ込みはすまい。それに、先程から雨に打たれ風に吹かれ、その上で数珠を駆使し土砂を止めているのだ、体力も精神力も磨り減っている。
鬼と遊ぶような余力は持ち合わせていなかった。
「…われには、生き延びたいと思える理由がナイ。”大谷刑部少輔吉継”として生きることがわれの唯一であったが、その唯一を失くしてしもうた」
いまは太閤秀吉は亡く、豊臣も無い。
徳川の大平の世になど興味ももてぬ。
「石田が、居るじゃねえか。アンタにとっちゃアイツは充分な理由になる筈だ」



「―――われ は、 ……死ぬ のか」
真冬の大阪城、シンと冷えた空気に、先程までの戦いの熱は無い。
大谷の喉から零れた言葉は長曾我部への語りかけではなかったろう。その目はどこも見てはいなかった。
そうだ、死ぬんだ、死んで、野郎共に謝ってくればいい。
刃の切っ先を大谷へ向ける。薄い鎧だ。力を込めれば、体ごと貫ききれる。
細いほそい息が、零れた。
「……残して、…逝くのか… ……」
振り下ろそうとしていた手が止まった。
そして、ぶるぶると震え始める。
何を残すのか、考えるまでもない。石田三成だ。あの孤独な凶つ王。
あの男を残して、逝きたくないと、四国も九州も、西国も東国も、あらゆる力あらゆる命を奪った軍師は、つまりそう言ったのだ。
「…っ!! 畜生…!!」
卑怯者。
刃の先を己が足元へ向け、力の限り突き立てた。
卑怯だ、そんな。
「アンタが…っ! 言うのは卑怯だ…!! 畜生… …畜生、畜生、畜生ぉおおおおお!!!」
激情に駆られるまま、長曾我部はその場から走り去った。





「石田と決着をつけて俺が戻ってきたとき、アンタはまだ生きていた。虫の息で生き延びてた。…去ったときから決めてたんだよ、戻って、まだアンタが生きてたら、アンタの生きたいって意思を認めてやると」
ざあざあざあざあ。
大谷は口を開かない。
滝のような雨と風はうねり、さしもの鬼も顔色は既に無くなっていた。
立ち続ける体力を失った大谷は先程から両膝を地につけて、両手を広げている。
せめて、この細い体を抱き体温だけでも守ってやれたら。風雨避けになるのが精一杯の長曾我部は臍を噛んだ。
この先の集落、その一角に、三成は居を構えていた。
大谷は、三成が危険を知り避難する時間を稼いでいるのだろう。
鬼は隻眼を細める。
答が出てしまう。
そうすればもう、この男を二度と心から恨めなくなる、憎めなくなる。
ああ、それでも知ってしまった。
大谷は、三成の為に殺し、三成の為に生かすのだ。
冷たい雨を受けているのに、頬は熱い。あたたかい水は、涙だった。
そこへ、微かに異音が聞こえてくる。既に大谷の数珠のうち2つは力を失い、本来の大きさで転がっていたのだが、音は山の方からでなく、背後から。
振り返った長曾我部は思わず息を呑んだ。
闇に沈んだ中で更に暴風雨、白い、具足姿の細い人影がゆらりゆらりと近付いてくれば大概怖い。
「石田!?」
「…みつ、なり」
ご、ごご、ご、ご、ご。
大谷がかつて戦場での移動用に使用していた御輿を引き摺っている音が異音の正体。
ずる、ずる。やっと二人に近付けた三成は、御輿を丁寧に地面に置きなおした。
「…貴様の臣下が、集落の者に逃げろと触れ回っているのを聞いた」
ぽつりと零す。長い前髪は濡れ、両目は隠され見ることは叶わない。
「もう集落に人は居ない」
それを聞き、長曾我部は息を吐く。
「よっしゃ…! じゃあ大谷も、石田も一緒に逃げんぞ!!」
冷たい二つの眼(まなこ)が、じぃっと長曾我部を。
「われの数珠を引いて、それでどう逃げるつもりか、走りやるのか。この、味噌の少ない大味の大魚めが」
「そうだ、貴様の武器のあの技でもそう速度は出まい。刑部と共にどう逃げる算段で此処へ来たのだ長曾我部。貴様は四国の国主だろう」
「っぉ… …そっ」
それは。
その。
そんな。
責めなくても。
だらりと、今度は雨まじりの冷や汗をかきつつある長曾我部。
それは置いて、三成は至極久しぶりに大谷を見た。
「刑部、私と貴様で長曾我部を運ぶ」
「……ふむ」
「以前、官兵衛を運んだろう」
「…アレか。しかし、山肌を抑えながらは」
「できないことなど言いはしない」
きょん、と。
大谷の眼が見たこともないような丸さになったのに長曾我部は驚いた。まるで童のような表情は、虚を突かれたからこそ出たのだろう。
「…ふ、…ふふ、ふふふ、ヒヒ、ヒッヒヒヒヒヒ!」
まだ われを信ずるか。
この数珠の力とわれの体力気力、残るはどれ程と、ぬしが正確に知るわけでもなかろうに、われには出来ると信ずるか。
高笑いする大谷を、三成は黙って待っている。長曾我部は、二人を見ていた。四国に来て、いまの今まで碌に会話もしていなかった二人が通じ合っているのを。
「―――あいわかったァ」
頷いた三成は、冷たい大谷の体を抱えて御輿に据える。やっと雨戸を降ろした長曾我部も手伝った。腕と肩が痺れていたが、大谷程度抱えるのに支障はない。ふわり、浮遊した御輿の左右、力を失い地に転がっていた珠が追従して浮かぶ。
「長曾我部、貴様が真ん中だ」
「お、おう!」
何が起こるのか、なんとなくわかるが考えたくないことでもあり。
「歯を食いしばれ」
「え」
「ヒヒ、舌を噛むならよいが、噛み千切っては困るわなァ」
「えぇっ」
がしり。三成の腕が右の脇に差し入れられる。
するり。大谷の腕は左の脇に差し入れられた。
嫌な予感がする。予感というより確信。
「殺 し て やるぞ ぉおおおおおおお!!!」
「ヒ、急くな鉾星…」
「ゥおぉおおぉぉおおおおお!!!!!」
ありえない速度で疾走し始めると、途中から山肌が崩れ始めた。離れた場所から支えるには無理があったのだろう。しかし山崩れから横に逃げるのだから、縦に逃げるよりは距離は短い。
山肌を支えるのを諦めた大谷の珠が御輿の横へ戻ると、速度は更に上げられる。
長曾我部はとてつもなく久しぶりに、恐怖で笑い出したくなるあの感覚を思い出した。ひくひくと頬が引き攣っているのが自分でも分かる。



長曾我部(と恐惶三成と暴走御輿大谷)は、星になった。






嵐の翌日。
今度は大谷が星になりかけていた。
風雨に晒された状態で長く力を使い続けた所為で、体力を根こそぎ奪われたのだ。床にて、唸るでもなく昏々と眠り続ける大谷の傍に、三成はずっと座っている。
長曾我部も政務の合間をぬっては顔を出す。
大谷の臣下も全員無事で、新しく移った屋敷の各所を整えるのに精を出している。
ばたばたと動く日常の中で大谷だけが動かなかったのだが、数日が過ぎてやっと、かの男は目を覚ました。
覚まして、まずは呆れる大谷である。
三成は座ったまま眠っていた。
ずっと寝ずにいたのだろう、酷い隈を作って、血の気の無い手を膝の上に乗せて。
「……三成」
話を、してみようか。
三成の心が、それで癒えればなどという傲慢は願わない。
変わらず信じると、躊躇も無く叩き出せた男に、穢れた舌と身で報いられるとも思わないけれど。




目覚めて、三成と色々と話を済ませた日を境に、大谷の屋敷には様々なものが届けられるようになった。
魚(生)だったり魚(干物)だったり魚(練り物)だったり、野菜だったり、花だったり。
初め、それを目にした大谷はてっきり三成からだと思っていたのだが、どうやら長曾我部からのものもあるらしい。
あの雨の中、大谷を風雨から庇って立ち続けていただけではなく、その後の超特急で首と腰を痛めたにも関わらず寝込んだりはしなかったのだから長曾我部は頑丈だ。で、その頑丈な鬼は、頑丈ではない蝶に、食え食え眠れ散歩しろと催促してくるようになったのだ。
溜息をついた大谷を、入り浸りつつある長曾我部が不思議そうに見つめている。
そう、そして何が面白いのか、長曾我部は屋敷を訪れては、まだ床から完全には離れられない大谷と他愛無い会話をしていくようになった。海の話、四国の話、色々、色々。
大谷は知識欲はあれど他人の私事にはまったく興味を持たない性質なのだが、長曾我部は中々聞かせ上手な男のようで飽きが来ない。開け放たれた障子から差し込む光が眩しかった。部屋の奥、陽の当たらない場所で片膝を立てて座していた大谷は、光の中の鬼に目を細める。
きらきらしい笑みを浮かべると、思った。
届かない、月と太陽に似ていると思った。
「長曾我部」
久しぶりに呼ばれた名前に驚いたのか、話が途切れる。
「おう?」
「われを飼うは贖罪と気付かぬか」
眉が顰められた。
意味がまったくわからないわけではないらしいと判断し、続ける。
「ぬしはわれに、毛利の面影を追っているだけ。最後まで交われなんだ悔恨を、アレと似たわれと交わろうとすることで癒したいのであろ」
蒼に怒りの色が乗る。
心地好い。怒りはなんと心地好い。大きな雷が落ちた後のように、包帯越しにも空気の痺れが伝わった。
「…ぬしの駒は良いコマよ。ヒヒッ」
大谷が笑ったのと、長曾我部の拳が横殴りに柱を打ち据えたのは同時であった。
「ふざけんなよ大谷ぃ…!」
「やれ、われは何もフザケテなどおらぬ。事実よジジツ。そうであるからぬしの気に障ったのであろうに」
あいも変わらず、大谷は詠うように人を嘲る。西軍に居た頃からそれを聞くのが不快だった。
嘘ばかり吐く大谷から吐き出される真実こそが不快だなどと、その皮肉が人としての倫理の嫌悪感を引き起こす。
大谷吉継は実に見事に人の心の裏と表双方に、引っ掻き傷を作りあげる。
「…長曾我部殿がお帰りよ、見送りを」
声を張れば控えていた臣下が頭を下げて現れ、苦い表情のままの長曾我部は足音荒く部屋を後にする。



安芸から大谷へと書状が届いたのは、その翌日のことだった。

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