いわゆる裏的な
Posted by 瑞肴 - 2011.02.01,Tue
下の記事の後編です。
差出人は毛利の息子、隆景である。書を開く前に弄び、大谷は首を傾げた。有体にいうなら、「身に覚えが無い」。安芸に何度か赴いた際、毛利を介して顔くらい合わせはしたものの、その程度の面識である。
はてと中を開けて目を通す。
「…ふむ」
豊臣が保管し、三成が継ぎ、その三成から大谷が賜った書の幾つかを毛利へ貸していたのだが、それが安芸にて保管されているということ。
毛利が、大谷へ譲るために取っておいた書物が幾つかあるということ。
それらをそちらへ届けさせる用意があるが、よろしいか。
そんなような内容だった。
どうしたものか。大谷は思案する。
崩した体調はほぼ元通り。四国から安芸へはそこまで遠い距離でもない。部屋の一角には、毛利から受け取った鏡。――鏡には、毛利の家紋が刻まれている。あの時、互いに口には出さなかったが、これは其れなりの品である。毛利がそれを己に託した理由。
「……われが安芸に赴く口実か。ヒヒ、同胞よ、死してなお謀りを進めやるとは…」
流石、サスガ。
まだ、日は高い。
大谷はゆっくりと立ち上がった。
向かうは長曾我部元親のもと。
杖をつきながら現れた大谷を、一先ず長曾我部は歓迎した。先日、怒りに任せた態度で大谷の屋敷を去っていたので気まずい気持ちもなくはなかったが、それよりも大谷が自分から足を運んできたのが嬉しかった。
大谷は放っておくと、どこまでも引き篭もってちっとも外に出てこないので。
長曾我部の前で実に丁寧に臣下の礼を取った大谷は、持参した安芸からの書状を渡す。長曾我部の目が上下に動いていることを確認し、口を開いた。
「許されるなら、われは自ら安芸へそれらを受け取りに行きたい。それに、以前ぬし様に見せた毛利の鏡、あれもケッコウなものであるゆえ、この機会に毛利家へ返上したいのよ」
「ああ…あれか」
長曾我部も、家紋が刻まれていたことには気付いていた。
「うむ、ウム。ただ送り届けるのも無粋…ついでに毛利に焼香でもと思うておる」
きろりと、金の両目が長曾我部を伺う。
此処で、不許可を出すのは容易である。毛利のことなど知るかと怒鳴りつけても良いし、仕えて日も浅い大谷を、元西軍参謀を易々他国に出すなどとんでもないと正論を吐いても良い。
求めているのは、そんな指南書通りの反応ではなかった。
鬼がどう出るのかを楽しみたい。ひっそりと包帯と口布の下で唇を歪める。
「体はもう大丈夫なのかよ」
しかし、長曾我部の声は明るかった。少なくともそこに怒りの色はない。
「…、あい、そも病ではない、ただの疲労よ」
心配すら滲ませた音を感じた大谷は、眉間に軽く皺を寄せた。解せぬ。何を考えている。毛利の名を出されて、不快でないはずもないだろうに。
「そうか、それでも気ぃ付けて行ってくるんだぜ」
言葉を返せなかった。
再度、深く礼を取り、恩情感謝、と零すので精一杯だった。
何を考えているのか、長曾我部元親。
許可を出すどころか、気遣うなどと。
「……虫の好かぬ男よな」
今日中に安芸へ向かう手筈を整えてしまうつもりで、帰路を急いだ。
早く此処を離れたい。
秋の平穏で、緩やかな生温い風が酷く不愉快だった。
疲れた顔を、してしまっていたのだろう。屋敷に戻ると五助には随分と心配された。安芸へ向かう許可が出たと告げれば、左様でしたかと納得される。これだけのやり取りで、何故己が疲弊しているか通じるのだから楽なものだ。
その日、大谷は早々に床についた。
当然だが、大坂からよりも四国から安芸への方が遥かに近い。
しかも陸路ではなくほぼ海路である。地を這う作業には酷く手間取る大谷にとっては有り難いことであった。
安芸に着いたのは数日後の昼過ぎ。現毛利家当主 隆景に儀礼的な挨拶をし、まずは毛利元就の墓へ参った。毛利本人はそんなことは望まないだろうが、これも世の習いであれば仕方があるまい。手を合わせながら、念仏も唱えずにそんなことを考えて薄ら笑った。
「立派なものよ、やれリッパ」
葬儀をどのように執り行うか、墓はどのように、その場所は。
毛利は生前からそれらをきちりと自ら決めていたのだそうだ。案内役としてついた男が話してくれた。
墓所の緑の中、大谷は木々の合間の陽を仰いだ。
此処には毛利が生きている。
安芸こそがあの男そのものだと、この地へくるといつも実感する。あれが死んで、いずれは薄れていくかもしれないが、ともかくいままだこの地は毛利元就である。
大谷は毛利のその生き方を肯定した。敬意すら払って良いと思えた相手は大谷の人生において片手で数えるに事足りるが、毛利もそのうちの一人であった。
日が暮れる前に山を下り、用意された屋敷で持ち帰る為にと纏められていた荷を改めていればとうに日は沈みきっていた。酷使された大谷の体は悲鳴を上げかけていたので、ゆっくりと風呂に浸かってその日は終わり、泥のような深い眠りを嫌う大谷が何故だか明日の朝陽だけは拝める気がして、あっさりと眠りに落ちることが出来た。
日の出前の時刻、大谷は厳島神社の一角に居た。此処から見る日の出が素晴らしいのだと、以前に毛利が言っていたのだが、成る程見事、壮観な光景である。
「心が洗われるとは、こういうのをいうのであろうなァ」
ヒッヒと笑う大谷を隆景は無言で促した。
悪くない反応だ。顔立ちこそ毛利にあまりにていないが、政の手腕は色濃く受け継いでいるという。
案内された茶室に座す。
三成が己の膿の落ちた茶を干したのはいつのことであったか。とても懐かしく感じるが、それほど昔の話ではない。刑部の位を賜ってから、色々と物事がありすぎた。思い返すだけで目が回りそうなほどに。
差し出された茶碗に、口布のみを外して茶を啜る。
疲れた体に深く染み入る熱と苦味が心地好かった。
「安芸はいかがですか?」
今までは毛利との会談以外に目を向ける余裕がなかったが、今回は違う。ひとつ、頷いて返す。
「よい国よな、毛利の意思が行き届いておる」
ありがとうございます。
その声を聞きながら、むちりと饅頭を齧る。四国にはまだ残念ながらこういった菓子がなく、しかし大坂では食べ慣れていたものなので嬉しいものだ。
「ここは気候も温暖です。安芸ならば大谷殿も落ち着けるだろうと、元就も申しておりました」
西軍が存在していた頃に、よく言われていたものだ。まだ其処に居るつもりか、と。貴様ほどの悟性、進んで破滅に向かう童に費やすは惜しい。我が駒となればその才、存分に揮わせてやろう。
その度、大谷は笑ってかわした。駒を替えよと幾度忠告されても真に取り合いはしなかった。そこで毛利が最後に押し付けたのが、例の鏡である。いかなる場合も堂々安芸へと向かえる理由となる鏡はつまり、片道手形。
そしていま大谷は、自らの意思で此処に来ていた。
「…安芸の安泰は瀬戸内の安泰、ひいては、石田殿のおられる四国の安泰にもつながりましょう」
「ヒッヒ、言うは易しというものよ」
空の茶碗が畳に置かれた。
安芸に発った大谷が四国に戻ってきたのは数日後。
しかし、大谷は随分と小さくなっていた。
安芸の使者が差し出した木箱を前に、長曾我部は顎をさすって目を細める。
「本来ならば亡骸を此方へ運ぶが道理ですが、業病を患った肉体など即刻燃すべしと大谷殿ご本人が床にて強く希望され、致し方なくこのような形に…」
しかし、病で倒れ死にました、では長曾我部殿が納得いくまい、毛利家にあらぬ嫌疑が掛かっても心苦しい、証に己の耳だけを、削いで四国へ送って欲しい、とも。
木箱はおが屑に塩が詰めてあり、そこに片側分が乗っていた。
長曾我部は大谷の素肌など目の周囲の僅かな部分しか見たことがなく、三成に検分させた方がと部下は言う。それは、その通り、三成ならばこれが本物かどうか容易く看破出来るだろう。
しかし。
長曾我部は考える。
『送られてきた』時点で、これは絶対に本物だ。こちらに石田三成が居ることは毛利側も知っている。そこらの罪人の耳を削いで送ったりすれば、見破られたときにどのような言い訳も役に立たない。
つまり、本当に死んだのか。これほどに呆気なく。
病があっという間に人の命を奪うことは長曾我部も知っている。なんと空虚な結末だろう。
「…気に食わねえ」
安芸の使者が顔を上げた。
鬼は、笑っていたのか、怒っていたのか。
厳島神社の奥の奥。
白衣に身を包み、白の頭巾を蘇芳の紐にて軽く結わえ、更に白い口布をあてた男が座していた。
御簾の垂れた室内にて、地図や書が散らばり、時折人が訪れては男に外の情勢を聞かせ去っていく。時折、それらに関する知識や助言を求められれば、男は淀みなく答を返してやった。
天下の豊臣の中枢にて働き、西軍軍師として各国の情報を仕入れ、操ってきた男の頭脳は今や安芸の為のみに使われている。
男は仕合わせだった。これこそが男にとってはシアワセだった。
此処では人であることが求められない。
純然たる知識であり智恵であれば、それが至上。
男は人であるなど真っ平だった。
悩み、怒り、笑い、傷付く、そんなものでいることなど真っ平だった。
「(もう、よい。みつなりには長曾我部が居る、われよりずぅっと健やかに長く生きるであろうあれが居る)」
あれのもとに居れば、大丈夫。
さいごにそれを、己で確認することが出来た。
男はもう、それで充分であった。
残りの命は此処で使えばよい。毛利の息子が言ったのは詭弁まがいだが、正論でもある。瀬戸内にいまだ影響力強い毛利が安泰であれば、瀬戸内全体にもその安泰の良い影響は出るはずであった。
四国の内側は三成と長曾我部が整えれば良い、出来ぬ外側を補おう。
男の唇には柔らかな笑み。
どれほどぶりかの、幸を願う静かな微笑みであった。
床を踏み抜かんばかりの荒々しい音が静寂を破る。
どかどかどかどか。
聞き覚えの出来てしまった足音に、身を隠そうかと萎えた足を引き寄せるのだがもう遅い。
薙ぎ払われた御簾の向こう側に、西海の鬼は立っていた。
「―――やっぱりな」
鬼を引き止めようかと背後で構えている毛利の部下を、視線で下がらせる。
怒った鬼を一介の兵ごときがどうとも出来るわけがない。
「完璧過ぎたんだよ、アンタの策は。死んだのを疑われないようにって念の入れっぷりなんか、特にな」
掛け襟を掴まれ、引き寄せられる。
間近に顔を寄せられて目を反らした。近くで見られるのは、好きではない。
「耳、削いだのか」
「………」
頭巾の上から触れられそうになって、手を叩き落す。
肯定とみた長曾我部の顔に見るまに更なる怒気が積もり、さしたる容赦もなく利き腕で頬を殴られた。鈍い音がして血の味が広がり、くらくらと目の前が揺れた。
「自分を粗末にするんじゃねえ!!」
なんだ、この男は何に怒っている。謀られたことへの怒りではないというのか。
それに気付いた大谷の中に、久しく忘れ去っていた怒りの感情が沸きあがった。
「ぬしに われの体の何が分かる…!」
戦場ですら見せたことのない吼え声が、空気を震わせる。
身を起こした大谷は、膝をついていた長曾我部の左頬を力のままに殴りつけた。
「健やかなるぬしに何が分かる!!」
長曾我部の口からも血が滲む。
肩を掴まれ、また殴られるかと身構えながらも鋭く睨みつけた大谷はしかし、長曾我部の浮べた表情に目を見開いた。
なぜなら打って変わって、笑っていたのだ。長曾我部元親は。
ニヤリと不遜な笑みを浮かべられ、何がなんだか、大谷の優秀な頭脳をもってしても理解できない。
「初めてアンタの本音が聞けた。…クク、それに 良い拳だなあ、痺れてやがる」
「………なにを、しに来やった、長曾我部」
ひょいと、まるで荷物にするように肩に担がれて、大谷は慌てて長曾我部の背を叩く。
「何を…!!」
「帰るぜ、四国に」
あっけらかんと言われ、暫し大谷は絶句してしまう。その間に長曾我部はどんどん進む。
「馬鹿な…。戻れるわけがない、われはまた三成を謀った、あれに合わせる顔などもう持たぬ!」
「アンタの耳は石田には見せちゃいねえし、アンタが死んだって知らせが入ったことも教えてねえ。……ってぇか、そこかよ、俺にも嘘吐いたことは棚上げか?」
流石に苦く零した長曾我部の言葉は、大谷の耳には届いてはいないようだった。前半分の言葉で得た安堵に、みつなり、そうか三成は知らぬのかと、己の企みを暴かれた策士にはあり得ぬ柔らかな声音で呟いたのだから。
ハアとわざとらしい大きな息を吐く。
「大谷」
「……」
「…今回のこと、三成に言いつけんぞ」
「…なんぞ」
渋々、といった風情で返されて、思わず吹き出す。このように子供じみた大谷を見たのは初めてだった。
「生きて償えとは言ったがよ、アンタは勘違いしてやがる。償いは奉仕や仕事で返すモンじゃねえ」
のしのしと歩き続ければ、いつの間にか厳島の鳥居を潜っていた。日は高く天に昇っている。
「生きて、幸せになれ。それが俺の望む償いだ」
勝手なことを。大谷は思う。
長曾我部の幸せと大谷の幸せの形は違うのだ。無理をいう男の背を諦めずに叩いてみるがビクともしない。
「…われには、ぬしのいう幸せなど到底理解出来ぬわ」
「なら、頭の良いアンタにこの鬼が教えてやろうじゃねえか」
ああ。
鬼追いは此れにて終了か。
また逃げても、この鬼は己を追いかけるのだろう。おそらくきっと。
「…あい わかったァ」
初めて己に人であれと強いた男に、大谷はようやっと頷いた。
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