もっともっと甘く香る

何かが届いたようです。むこうぶちＳＳ
華僑組、事務所にて。

　


「大哥、どうされますか？」

そんな声が聞こえてきた。
外出先から帰ってきた後堂はハンカチで汗を拭いながら、声の出所である事務所へ入室した。江崎が中に居るときは、直ぐに分かる。冷房が強すぎないときが彼の在室証明だった。
暑いならスーツ脱げばいいでしょうネクタイ外しなさい。
そういうことらしい。
ともあれ、入室した後堂の目に飛び込んできたのは、大降りの化粧箱を抱えて目を輝かせている（但し眼球部分はまったく見えない）江崎の姿だった。
「後堂！　おかえりなさい、良い所に戻ってきましたね」
「只今戻りました。…どうかしたんですか？」
江崎がなにやら喋りたそうなので、報告はその後だ。
近付いて、手元の箱をのぞき見る。
「ああ、そんな季節ですね」
お中元、という熨斗は既に取り払われている。
中身は淡い白に、ほんのりと色のついた桃。化粧箱のつくりから察するに高級品なのだろうが、事務所への中元としてなま物というのは如何なものか。眼鏡の位置を直して凝視する。
「常温の方が甘いんですよねえ」
…まあ、事務所のトップが喜んでいるから良いのだろう。
直ぐに食べる様子なので、皿と包丁をと流し台へ移動しかけるのだけれど、江崎は桃を１つ掴むと申し訳程度に表皮を手で払い、そのまま噛り付こうとする。
「江崎ッ、待ちなさい！」
あ。と口を開けた体勢で、止まる。
絶妙のタイミングで「待て」を言い渡された狗が唇を尖らせた。
「せめて皮を剥きます。かぶれるかもしれないでしょう」
平気ですよーと小さな抗議を黙殺し、流し台で手を洗い包丁と皿を持って戻ると、江崎の対面のソファーに座る。
薄く浅く、十字に包丁を入れて、頂点部分に軽く包丁の刃を入れ、半分ほど、つるりと皮を剥く。
「素晴らしいですね後堂。私の所にお嫁に来ませんか？」
「お断りします。　どうぞ」
秒で、却下。
しながら、上半分剥けた桃を手渡せば、江崎は気にした風でもなく、ありがとうございますと受け取って桃の香りを嗅いでいる。
あむり。
～～～～～。
ジューシーらしい。
ご満悦の江崎は放っておいて、残りはちゃんと剥いて切り分けますかねと桃へ手を伸ばし皮を剥くのだけれど、なんとなくのジンワリした雰囲気に、目線を上げる。
江崎の手の中の桃は既に半分無い。
行儀悪く直接かぶりついているのに、下品に見えないのだからこの狗は元々の行儀がすこぶる良いのだろう。それと、顔か。後堂は何の興味も羨望も無く冷静に結論を出した。
指についた汁は唇で吸い付いて、手首に垂れた果汁を舌で舐め上げる。
妙に生々しい仕草だったが、江崎とて故意にやっているわけではあるまい、咎めるのも何かと包丁を持ち直した後堂だけれど、ふと、気付く。
部屋に数名居た、部下たちの視線が、一様に江崎（の舌）に注がれているということに。
「……江崎」
「はぃ？」
美味しいですよ、後堂食べないんですか？　呑気に聞いてくる江崎に、ボックスティッシュを差し出した。
「使って下さい」
「ああ、ありがとうございます」
素直に受け取った江崎がティッシュ数枚引っ張って、口周りと手をゴシゴシと。
落胆と軽い非難の視線が後堂に集中したが、悔いは無い。
「（此処で私が鬼にならなければ…！）」
誰もどうとも出来ない微妙な空間の出来上がりであったろう。
サクサクと桃を剥いてカットした後堂は、せめての慰めに多めに皿に盛って、差し出してやる。受け取った部下たちは江崎に勧められたこともあり、むちむちと桃を味わいはじめる。
「美味しいですねェ…」
２つ目を後堂にねだりながら、うっとりと零された大哥の言葉に、男たちはコクコクと頷いた。

平和な、日本の昼下がり。