白い光景

 

 

赤鷲ＳＳ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あつい。喉があつい。熱で掠れた息を吐き出しては吸い入れていると、喉をぬるい水が通った。
一瞬、喉から上の熱が引く。
心地よいそれは、何度か自分の喉を通って胃の中へと落ちていった。
風邪などひいたのは久しぶりだ。今年は夏から、いや、正確には夏のずっと前から気を消耗していたからか。あの夏の日に気力も体力も、胆力すらも根こそぎ奪われ、それで迎えた初冬は老いた体には辛かったらしい。
表面上には絶対に老いを認めたがらない鷲巣だが、自分の体はそれなりに正しく理解していた。理解していたから、こその、あの。
「……熱い……」
汗をかきすぎて、気持ち悪い。流石にぼんやりとしか回らない頭を忌わしく思いながら目を開くと、途端に白髪が飛び込んできた。外に積もる雪と同じ白さのそれは、ふさふさ、鷲巣の視界に割り込んでいる。
「……ァ、」
続きを呼ぼうとして、咽る。習慣で怒鳴りつけようとしたのが悪かった。痛む喉に張り付いた熱に、何度も咳き込んでいるとアカギがあっさり目を覚ました。
「…起きたのか」
身を丸めて咽る鷲巣に、一言。
「～～な、～！　…っ！！」
「ああ、素肌の方が温かいだろ」
「～けほっ～～～医者は…げほっげほっ！！！」
「医者？　俺が来た時に帰っていったのがいたな」
咳き込みの混じった単語だけで理解できるのは、アカギと白服数人だけだろう。幸いというべきかズボンだけは履いていたアカギが、枕もとの水差しを手にとって揺らす。
「…げほっ…、貴様の相手などする気になれん…っ、さっさと出て行け…！」
アカギが鷲巣のいうことを聞かないのはいつものことだが、水差しをゆらゆら揺らしたまま、踊る水面を眺めるアカギは珍しく鷲巣と視線を合わせていない。
「水飲むだろ。取って来てやるよ」
「……」
確かに水は飲みたいが、別にアカギに持ってきて貰わなくても、誰か呼べば事足りる。鷲巣はギロリとアカギをにらみ付けた。
「…さっきは、もっともっとって素直だったのにな」
クク。小さくアカギが笑った。
「ぁあ゛？　何を言っとる…」
「寝てるアンタが熱そうだったから、何度か口移しで水を飲ませてやったんだ。…口の中の分、全部飲ませてもう無いってのにもっと欲しいって、舌絡めてねだったの覚えて無いのか？」
「……………」
風邪の熱の所為でなく、絶望で目の前が真っ暗になった。羞恥と自分への憤りの激しさに危うく意識を失いかけた、が、なんとか持ち堪える。
「それでずいぶん水が無くなったからな。取ってくるさ」
「…ぐ、ぐ。……ぐ…」
誤魔化す為の大声も出せない己が腹立たしいが、血圧が上がったせいか体が火照る。アカギが珍しく殊勝に動こうというのなら、それを寛大でもって受け入れるのが王の余裕というものだ。などなど、理屈をつけて自分を納得させてみる。
しかしそれにしても、気に食わないことが、あるのだ。
「……アカギ」
既に寝台から降りていたアカギは、案外静かに名を呼ばれて少し驚いたようだった。
「貴様、この鷲巣巌を前にしておきながら、先刻から誰を見ておる」
鷲巣の眼は真っ直ぐアカギを貫いている。
「ふざけおって、わしを見ぬ目などわしには必要無い」
吐き捨てる、ではない、切り捨てる冷たさで告げる鷲巣を黙って見つめていたアカギは、くつくつと喉で笑いはじめた。
「…ククク…、まったくアンタの言う通りだ」
水差しを置いて、寝台に手をつく。
枕に上体を預けた鷲巣に軽く覆いかぶさり、今度は目の奥まで捉えながら、唇を重ねた。
「悪かった。いま俺の目の前にいるのはアンタだ、鷲巣巌」
雪の日に、自分を置いて逝った老人がひとり、いた。
鷲巣も”そう”なるかと、不意に思って、重ねた。それをあっさり看破されてしまい、アカギは苦笑を浮かべる。あの人も鷲巣も、いつの間にか自分を見透かす。
「フン！」
アカギの目の色が僅かに変わったのを見てとって、鷲巣は鼻息で返事をしてみせた。
「…それにしても、すごい殺し文句だな、鷲巣」
「……は？！」
「アンタを見る目なら、ずっと必要だって事だろ？」
「なっ、なぁっ…何を馬鹿なっ…！！　そんなことより、～～さっさと水を取って来い…っ！！」
染まった目尻に口付けて、水差しを取り立ち上がった。雪に映っていた幻影はもう見えないから。