結局、鷲巣は渋々に折れることにした。
赤木を平伏させることなど容易いけれど、彼は己の所有物ではない、だから、鷲巣にはその選択肢はあっても無いのと同じものだった。
「…意地悪だね、赤木君」
一人のベッドの中、呟く。
けれどまだ。
赤木は知っているだろうが、己は賭け事には強いのだ。
「………ふふ」
己が勝ちたいと思った賭けに負けたことなど、無い。
寝付けずに過ぎる時間は長い。薄闇の中、ベッドの上で寝返りをうったり、足をぱたぱたと跳ねさせたり、煙草の匂いが染み付いている室内を観察したりしていれば、控えめなノックの音が耳に入る。
鷲巣は目を細めて笑った。
「…どうぞ？」
音もせずに開かれたドアから、滑り込んできたのはアカギ。コソコソしてはいないということは、赤木の許可は得ているのだろう。
「起こしちゃいましたか？」
身を起こそうとする鷲巣を制し、ベッドの傍へ。
床に膝をついて顔を覗きこまれて、鷲巣は再度、嬉しそうに微笑んだ。
「ううん。寝付けなかったから、ずっと起きていたよ」
「…そう…ですか」
アカギの顔が僅かに歪む。アカギは、鷲巣が随分寝付きが悪いのを知っている。自分が隣に居れば、割合スムーズに眠りに就けるということも。
「…すいません、直ぐに来たかったんですけど、時間が掛かって」
シーツに散る長い白髪を手にとって、口付ける。
「鷲巣さんが眠れるまで傍に居ます」
成る程と、鷲巣は納得した。アカギが幾ら主張しても、赤木も一度意地になれば簡単に折れる男でもない。どうやってこの寝室に来たのだろうかと思っていたけれど、どうやら『鷲巣が寝付くまで』の制限の上で許可をもぎ取ってきたらしい。
赤木も、鷲巣の寝付きが悪い …悪かった、のを知っているからこその譲歩に、鷲巣は心中苦笑を漏らした。まだ、気に掛ける程度には覚えて貰えていたようだったので。
床に跪いたままのアカギを、ベッドの上に座って欲しいと促すとアカギは素直にそこへと腰掛けた。そうして長い指で、何度も鷲巣の髪を梳く。
「…私が眠るまで、そうしてくれるのかい？」
ほのかに温かいアカギの指先が心地好い。
瞼を半分ほど下ろした眠そうな猫目がアカギを見上げた。
「はい。…本当は、抱き締めたいですけど、…それだと止まらなくなっちゃいますから…」
小さく笑うと、アカギがもそもそと身動ぎした。気恥ずかしいのだろう。顔を、すぐ傍の太腿に寄せれば、髪を梳いていた指がぎくりと止まった。そして、数秒後にまた動き出す。
「……でも、まだ眠くないから時間が掛かってしまうよ」
半分は嘘だ。このまま撫でられ続ければ、近いうちに眠りに落ちてしまう。気付いたのかそうでないのか、今度はアカギが笑みを浮かべた。
「そしたら、その間ずっと鷲巣さんに触れていられるから、俺は嬉しいです」
でも、出来たら早めに眠った方が体は楽ですよね、と、すいませんと二度目の謝罪を口にしながらアカギの手は柔らかく髪を梳き、頭を撫でる。時折、手の甲が頬を撫でて。
鷲巣は軽く顎を上げ、優しい手に歯を立てた。噛み付くまでもいかない、本当にただ、歯を当てる程度。
「ねえ、アカギ君」
「はい…？」
「お腹が減ったから、眠気が薄いのだけど」
きょとんと、アカギが目を見開く。
しかしまあ、言われてみれば夕飯は夜店の食べ物ですませた上に、あれから結構な時間が過ぎている。小食気味な鷲巣が空腹を訴えるのも珍しいなと思いながら、アカギは僅かに腰を浮かせた。
「なにか無いか、見てきます。牛乳でもあれば良いんですけど…」
自炊をほぼしない赤木の冷蔵庫では期待できなそうだ。アルコールならあるだろうし、あれは糖分だから空腹は紛れるかもしれないけれど、すきっ腹にいれるものでもなく。粉末のココアでもあれば、あれなら水にも溶かして飲めるだろうなどと、色々と考えを巡らせるアカギの服の裾が引っ張られた。
中腰未満だった腰は、あっけなくベッドにぽすりと落ちる。
「君の…が飲みたいな。…頂戴？」
唇に触れたままのアカギの手を舌先で軽く舐めれば、体ごとアカギが反応した。
「……、鷲巣さ…
「ね。お腹が膨れたら、ちゃんと寝るから。…アカギ君？」
猫がするように何度も手を舐められて、数秒だけ固まっていたアカギは勢いよく頭を上下に動かした。
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